1982年4月。新日本プロレスはNWA世界Jr.ヘビー級王

Writer: admin Type: 消費者問題 Date: 2019-03-08 00:00
1982年4月。新日本プロレスはNWA世界Jr.ヘビー級王者レスソントンを招集。タイガーマスクに挑戦させました。5,25静岡大会でタイガーマスクは見事に王座を奪取。翌26日の大坂大会でブラックタイガーを下してWWFJr.王座も奪取。史上初のJr.二冠王者となったのです。NWAを専売特許、看板、錦の見旗に掲げていた全日本プロレスのジャイアント馬場が面白くなかったのは想像に難くありません。当然、NWA本部に抗議をしましたが今回は堪えてくれの一言でやむ無く矛を納めました。皮肉にも全日本のJr.王者大仁田厚が巻いていたベルトは新日本からチャボゲレロが持ち込んだNWA世界インターナショナルJr.王座だった。本家本元が売りの馬場もくそ~と思った事でしょう。新日本が作った紛い物のベルトを愛弟子に巻かせなければならない。あのベルトはジャンボも挑戦したしうちになければならないベルトだろう。シュポポポ~質問はもしも馬場全日本が当時の政治力でレスソントンとNWA世界Jr.王座を力業で引き込んで大仁田にベルトを取らしてNWA世界、NWAインターのJr.二冠王者にならせていたとしたらああも佐山タイガーと大仁田の差は付かなかった思いますか?全くならなかった二人の立ち位置が82年のプロレス大賞でMVPを争うくらい拮抗していましたか?大仁田はタイガーには負けんよ。なんちゅうても大仁田はNWAJr.二冠王者だからね。こっちが本家本元なんですよ。あんたがたもそこを分からんとダメですよとパイプを吹かしてアッポ~とやったと思いますか?良かったら回答よろしくお願いします!売りの馬場もくそー共感した0###82年のタイガー人気は二冠を獲ろうが獲るまいが揺るぎのないものだったからタイガーMVPは変わらなかったと思います。ただ大仁田が二冠王になった場合は当然評価されたでしょうから大仁田は敢闘賞あたりを受賞する可能性もあったのではないでしょうか。ナイス0
###あの年の敢闘賞はラッシャー木村でしたね。大仁田も殊勲賞にノミネートされて藤波11大仁田7と決選投票までいきました。敢闘したけど佐山タイガーとは同じならないくらいの差がありました。馬場さんもごり押しでジャンボにMVP取らせようと工作しましたが(タイガー13鶴田5)と相手になりませんでした。猪木や馬場誰が来てもあの年のタイガーマスクに人気や実績では勝てなかったでしょうね。
###NWA世界Jr.ヘビー級ベルト。白地で世界地図のあるベルト。今では佐山モデルという名称で通っています。例え大仁田が巻いたとしても大仁田モデルとは呼ばれる事は無かったでしょうね。その差かな。お三方、回答どうも有り難うございました!###新日で藤波やタイガーマスクがブレイクしてJrが人気を得たのは、彼らがヘビー級にはないスピードや空中殺法など新しいプロレスを提供したから。全日のJr勢、大仁田、渕、ウルトラセブン()いずれも単に小兵なだけで新しい提案をしていない。小兵同士の普通のプロレスになってしまっている。それではいくらベルトを獲ろうがファンの目は変わらなかったと思います。ナイス0
###差は縮まらない。拮抗しない。ただ、プロレスマスコミが忖度して大仁田を少し持ち上げる程度の効果くらいはあっただろうけど。ナイス0

 

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